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賽は投げられた。人事尽くして天命待つと言うか、転がりだした物は止められないというか。まぁ、ちょとは覚悟しとけよ。
基本的に毎日更新。出来なかったときは遡ってやります。多分。きっと。出来たら良いな

2002/09/24 (Tue)

勘とはなにか、演繹と経験と理屈により導き出された結果である。多分。
少なくとも、なんとなくランダムに決められたものではないと言うことだけ
述べておく。

というか、勘を馬鹿にしすぎ。
おいらは、勘を使う事が有限精度の計算から逃れられる唯一の手段だと思う

カオス理論って偉そうに言うけれど、実態は大したモノではない。
有限精度の電算機では求められないからカオスです。と言って逃げてるだけ。

人の人生なんてまさにカオスだと思うのよ。
何時何処で何をするか?なんていう未来の事は一切判らない訳で。
もし10秒先のことが予測出来れば、それは未来視でしかない。
その10秒先のことが判ったらそれはそれで悲劇だろう。
判らないから人間って物はタフに生きているんだと思うわけで。
タフって言うより能天気且つ楽観的に生きてるんだと思う。
合言葉は一つ「何とかなるさ(明日は明日の風が吹く)」だと。
カオスちっクな世界を固定化する作業が自分の居る場所なんね。
未来と過去の狭間。その存在しない線こそ、今って言う時間な訳で。

カオスな未来を何とか思惑通りにもって行こうという行動こそ
カオスを解く鍵になっている。
そのタイミング、行動を決めるのに複雑な理論を解いているか否か。
結局、「勘」に頼っているに過ぎないわけで。

だから勘こそ、カオスを解く鍵であるとおいらは考える。