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賽は投げられた。人事尽くして天命待つと言うか、転がりだした物は止められないというか。まぁ、ちょとは覚悟しとけよ。
基本的に毎日更新。出来なかったときは遡ってやります。多分。きっと。出来たら良いな

まぁ自然科学ってのは世界最大の宗教勢力だからなぁ

「脳波停止の後」に残る意識:蘇生医療の最前線から



 脳の中には、われわれが発見していない、意識を説明する何かがあるのかもしれません。あるいは、意識は脳とは別個の存在なのかもしれません。





養老猛司の唯脳論によるとだ、脳ってのは、神経系を通して全身と繋がっている。

だから、脳を体から切り離すってのは、体と全身の末梢神経系を切り離すことになるから、不可能と言う。

脳って、体の中で唯一神経系の無い、感覚の無い器官なわけで、そういうことになってる。

神経系が無いわけじゃ無くて、神経系そのものだから、わざわざ神経系を張り巡らせるまでも無いって訳なんだけど

脳は(自分自身の)脳のことを知っているはず。



その自己参照行為を、理解するために、疑似デバイスとしての心とか意識って物が存在するって認識してるに過ぎないから

意識と脳は別物ってのは無いと自分は思う。



脳と魂は別って言うなら、それは別だと思う。



この辺はmetaphysica、形而上学、結局の所、自然科学ってここに回帰しちゃうんだけど

その学者がどういうスタンスで世界と向き合うかって話になるのよね。



魂は存在する・しない。神はいる・いない。自然科学からすれば、どっちでもいい話。

いや、自然科学だからこそ許される。



自然科学って、ぶっちゃけ、自分自身を基準に自分自身を定義するってイカれた学問なので

絶対的な基準って存在しないのよね。

物理学と哲学なんてほんと同じレベルの学問で、形而上学の一種。ほんとにそう。

だから、どういうスタンスで世界と向き合うか、向き合い続けられるかってのがすべて。



自然科学ってのは、初期状態と結果に対して屁理屈こね回すのがお仕事なので、



・病気にかかる→神に祈る→病気が治る

・病気にかかる→薬を飲む→病気が治る

・病気にかかる→神に祈らない→死ぬ

・病気にかかる→薬を飲まない→死ぬ

・病気にかかる→神に祈る→死ぬ

・病気にかかる→薬を飲む→死ぬ



その薬がプラシーボ薬だったとしても、だ。



神は存在するってスタンスで世界と向き合っている人と

存在しないと言うスタンスで世界と向き合ってるか、その違いだけ。

どっちも間違ってないし、どっちも正しい。



このニュースの人は、意識って物は独立したものとしてあると言うスタンスで世界と向き合ってるんだろう

それが間違ってるとは思わないけど、納得も出来ない。

それだけの話。



学術論争って宗教戦争臭くなるのもそういう理由…