死に至る病
死に至る病(1)
死に至る病(2)
朝田光原作、瀬口たかひろ作画のこれ。
非常に惜しい。
キルケゴールの死に至る病をちゃんと十分に読んで本作の原稿起こしてるんだろうと思うけど、いい線行ってるけど、絶望の解釈が僅かに違う。
まだ、こっち側とあっち側の一線を踏み越えてない。
いや、踏み越えてなければ、そういう解釈で納得いく。
ただ、踏み越えてしまうと、その解釈は違うってはっきり言える。
精神の乖離とか、人が生まれて持つ絶望ってそういう意味じゃない。
精神の自己との乖離ってのは、どっちかって言うと、精神が脳みそって檻に束縛されているって事を認識できるか否かって話。
発想力とか想像力って、言語とか、文化、常識そういうのに束縛されてる。それに気づくかどうかって事だ。
日本神話とかだと、人間に害をなす神様ってのが居るんだけど、キリスト教圏からすれば、こんな恐ろしいことは無い。
それは、人は神の作りし者で、神に似せて人を作ってるので、常に守護する立場にあるわけだ。で、そういう認識で居るわけ。
ところが、神の気まぐれで人間が死んだりするってのは教義に反するものもいいところで、進化論以上に嫌われてる。
クトゥルフ神話ってそういう意味で非常に嫌われてるわけだ。架空の神話なのに。
そうやって、思想ってのは無意識下で抑圧されてる。それに気がつけるかどうか?そういう話。
気がついて、それと向き合えれば、精神の乖離と同じことが起こる。自分を客観的にみるもうひとつの自分があるんだから。
キルケゴールが言う人が生まれて持つ絶望ってのは「人が人であること」なんだから。
一線を踏み越えれば、いまおいらが書いてることに共感できるよ。
絶望感しか残らんけどな。
目玉焼きのサニーサイドアップとターンオーバー論争に近い。
一気にひっくり返さないと失敗するって点で。
失敗してるとターンオーバーが良いって意味が理解できないし、成功するとナルホドって感じだしな。
#あと下手な少女漫画より少女漫画漫画しててワロタ。