使い続けられていることには意味がある
そのタッチパネルでWebの閲覧できるの?
そのサムネイルが並んだ状態で必要な写真を見つけられるの?
そういう最低限、ケータイでやることができるかどうかを自分でちゃんと試しているんでしょうか。そんな疑問を感じるくらい、ちょっとまずい状況。なにしろ基本操作がおぼつかないのだから。
他人に評価をたのむ前に、自分たち自身で評価してみるほうが先決です。そうしないと絶対によくならない。自分たちで自分たちのつくったものに触れ、自分たちで頭を使って評価する。それをやらなければ、いくら他人の評価を聞いても、そんなの役に立ちません。
もちろん、ここで書いていることはケータイのデザインに限ったことではないはずです。
他にもおなじように迷走状態に陥ってしまったもののデザインはたくさんあると思います。
これ、興味深いというか、あれなんで書いとく。
多分作ってる方は理解してると思う。
使い勝手の悪いことも、使えないことも。
わかっちゃいるけど止められないってのが本音じゃないかな。
原因は非常に簡単な、しかもしょーもない理由で、泣けてくるよ。
何が原因かというと、「コンペ」それに尽きる。
社内コンペだったり、公開コンペだったりするかも知れないけど、コンペのせい。
そこそこ経験のあるエンジニアは、使い勝手の良いものを提示してくるんだけど、それじゃ平凡すぎてカタログスペックを飾れないと判断するコンペの審査者によって、真っ当な案が落とされて奇抜なものが残っていく。
今回の携帯電話の話なら、いままで通りのメカニカル(メカニカルじゃないけど、クリック感のあるって意味でのメカニカル)キーとタッチパネルで、タッチパネルで入力できます。だったら、今までのキー入力よりタッチパネルの方が、カタログスペックを飾れるけど、クリック感の無いキー入力ってのは、非常に使い勝手が悪い。
物だけじゃなくて、建築物なんかは特に顕著で、たとえば「開放感溢れる設計」=冷暖房効きにくい、屋外なら雨が吹き込んで屋根の意味をなさないバスターミナルとか。
結局、普段使ってる物のデザイン(形状だけじゃなくて、設計って意味でのデザインね)ってのは見慣れているので、それがどんなに高度に結晶化して、最適化されたものかと言うことに気がついてる人が少なすぎるんです。
見慣れていて、当たり前だからこそ、その重要性を見落としている。
で、見た目が派手だったり斬新だったり、奇抜だったりするデザインのものがコンペで採用され、それが作られてしまう。
逆にコンペを受ける方からすれば、採用してもらわないと食っていけないので、使い勝手なんかより、見た目、奇抜さに走る。
ようするにエンジニアがダメなんじゃなく、それを採用する、会社上層部とか、有識者が無能なだけだったりします。
で、結局ダメダメだものが生産されてしまうと。
そりゃ時には奇抜なものの方が効率が良かったりするけど、それは技術的な裏付けがあったり、試験機が予想外の挙動を示したりして、それの技術的な裏付けを取ってから採用するのであって、今回のデザインの話とはちょっと違う。
KISS原則ってのがあって、それに準拠してる限り、意外と使い勝手が良かったりするんだけど、カタログスペックがイマイチでパッとしない物ができあがるのよね。
今まで使われている技術ってパッとしない物も結構あるけど、使い続けられている技術にはちゃんと意味があります。