2005/04/18 (Mon)
のーみそ全壊な気がする今日この頃。
つーことで、愛智です。philo-sophyの方ね。
なんか普通の人は「他人のことが判った(気がした)。他人に自分を判ってもらえた(気がした)、だからうれしい。」と言う思考ルーティンっぽい。
ここでは、「他人が判る」という行為より、「解り合えるであろう」っていう志向性の問題じゃないかと思う。
おいらは「他人なんて所詮他人だ。理解できない。(相違がある)だからオモロい」と言う思考。上に()で書いてあるのは、本当はそう書きたいけど、一般的にはそうではないらしいから^^;
この辺は、全く理解できないんで…
突き詰めていくと、「他人が理解できる」=自分と同等である=だから必要としない。と言うことになるんだけど…
逆を言えば、「他人が理解できない」=自分とは違う=だから必要とする。って事になるのよね。
他人が理解できないからオモロいって思想自体
卵焼きの派閥と同じかもしれんなぁ。
サニーサイドアップ(片面焼き)が良いという人もいれば、ターンオーバー(両面焼き)の方がいい人もいる。
でもサニーサイドアップ派にはターンオーバーの良さが理解できんのですな。
ひっくり返すところで大概躓くから。
一度ターンオーバーに成功すると、ターンオーバーの良さが判る。
でも、サニーサイドアップから、ターンオーバーへのギャップははるかに大きい。ほとんどがそこで脱落して、ターンオーバーの良さが理解できない。
この思想と卵焼きは同レベルじゃないのかな
判らん人には判らんし、判る人には判ると。
寂しい生き方と言われればそれまでだけど、
そう言う思想してたら、本人は何も困らないわけで
楽しい生き方と言えば楽しい生き方なんだけどな(笑)