NAV_MENU
賽は投げられた。人事尽くして天命待つと言うか、転がりだした物は止められないというか。まぁ、ちょとは覚悟しとけよ。
基本的に毎日更新。出来なかったときは遡ってやります。多分。きっと。出来たら良いな

2005/04/24 (Sun)

人生はゲームだ。
リセットとかセーブポイント無いけどね(笑)
うーん、実際の所、セーブポイントはあるけどロード出来ないだけかもしれん。

HUMAN LEAGUEのKiss the Futureってのがあるけど
キスするほど未来は素晴らしいという訳じゃない。
どんな未来でもキスせざる(愛さざる)を得ないんだと。
我々には、盲目的に未来を肯定することしか出来ない。
肯定すれば、未来は開けていて、その先には幸せしかない。それも圧倒的なパラダイスが待っている。
でも、楽観的なものじゃない。
どんな未来がくるか判らないけれど、それを必死になって肯定し続けなければならない。
肯定し続ける限り、未来はきっと幸せだ。

今という時間は存在しない。
未来というカオスが歴史というコスモスに変わるただそれだけの境界線

だけど、今って概念を人間は認識してしまう。
何だってそうだ。脳みそは無限の可能性を秘めているのに、肉体が付いてこない。残念ながら。
その脳みそでさえ、人間が作り出し、人間の制御下を離れた自律的に稼働するシステムの抑制を受ける。

それが、今と言うような概念的なモノであったり、家族とかいう思想的なモノであったりするが、もっとも大きなモノが、言語による制限。
脳みそは無限の可能性を秘めてるにもかかわらず、人間というのはいつの間にか、構造記述を可能とする言語の元でしか、思考出来なくなっている。言語に依存した思考しか出来ないのだ。

表現出来ないような漠然とした思考を、無意識の内に、記述可能な言語系で表現出来るような考え方をしている。

天才が紙一重と言われるのは、そう言うこと。
時代の先端を突っ走っているのもあるが、言語記述できない漠然とした思考を伝えようとすると、漠然とした伝え方しかできない。だから、馬鹿と思われる。

時代が進むと、言葉が新しく作られたりして、解決することが多いけど(笑)

で、最近思うのは、なぜに日記にタイトルが付いとるのだと?
タイトルを書かなければならないという時点で、思考はかなりの制限を受ける。
日記なんてモノは漠然と記述するものであって、そこにタイトルがあるのはおかしいわけで。

日記にタイトルがあって当たり前と思うから実装するんだろうけど、タイトルが有るのが異常なんだ。
特別な出来事があるときにだけ付ければいい。
でもそんなに特別なことばかり起こらないのが現実なんだから。