死に至る病
まぁ有名なキルケゴールの哲学書だわな。
死に至る病ってのは絶望の事だと、キルケゴールは解くわけだが
絶望って行っても自分がやってきたことに対する絶望とか、社会に対しての絶望とか色々あると思うんだ。
だが、そんな物は絶望の内に入らないってことを、一昔前に知ったわけだ。
その一線を踏み越えるまでは理解できないし、理解できるはずも無いんだ。これは。
ただ、その一線を越えた瞬間、すさまじい絶望感に苛まれることになる。
おいらは、高みを目指して、必至にやって、結果踏み越えてしまった。
ただそれだけ。
それを踏み越えたからこそ、判るんだわ。
太宰治が芥川龍之介が(作家、詩人が)、なんで自殺したかってことに。
人間諦めたら終わりなんて良く言うが、限界ってものはあるのよね。
創造力は無限大なんて言うけど、実際無限大じゃない。
人間が創りだして、人から制御が離れ、自律する何かによって、人間の創造力ってのは、無意識下で抑圧されてる。
身近なところで言えば、一例として言語。
人は想像・思考する際に、言語の影響を受ける。
その言語に存在しない概念ってのは想像さえ出来ないのよね。
それは、人が創ったはずの言語によって、人の創造力ってのは足枷になってるってことだ。
それって不幸な事だと思わんかい?
唯一、その枠の外にいる人たちが居る。
それが精神疾患とか知的障害者と言われる人たち。
それが、何とかは紙一重と言われる所以だろうと思う。
でも、この人の創りだした足枷は、まだ外すことが出来る。
「人にとって一番の不幸とは人であること」だと思う。
人が経験してない何かってのは全く想像すら出来ない。
CG全盛時代になって、着ぐるみとかそう言う呪縛から解放された筈のSF映画で、怪物が人の形してんのは、まさにそう言うことだろう。
あとは、クラゲ型であったり、誰もが見たことのない形状の物ってのは、誰も思いついてない。思いついたとしても、受け入れられないから描けない。
人は猿から進化しているにもかかわらず、尻尾の動かし方なんて判らないし、想像すら付かない。
多指症とかで6本目の指のある人ってタマにいるけど、5本指の人間にはその感覚さえわからない。
もし、その事に気がついて、理解できたとしても、周りの人間に伝わることはない。
500年前の人間に、携帯電話って物を説明しようとしても伝わらないだろう。
これは、時代が早すぎただけだが、人の枠を越えようとしたことは時代が変わっても多分無理。
魔法とか超能力が実在して、使える人がいたとしても、やはりこの感覚は他人には伝わらないし、伝えられない。
芥川龍之介らが直面した絶望ってのは、間違いなくこれだ。
この呪縛から解放されるには、死ぬしかないもんな。
過去に数多くの作家・詩人が自殺する理由ってのは、これに尽きるであろうと思う。
それに気付くかどうか。
気付いてしまえば、創造することが生き甲斐というか存在意義の彼らにとっては、本当に絶望でしかない。
自殺した芥川や太宰はもちろん、キルケゴールとかもその一線を越えた人だったんだろうな。
そうでないと、哲学といえどあんなことは書けんよ。
その一線を越えてから、もう5年も経つというのに、未だに絶望感に苛まれる。
随分、意識しなくて良くなってたのになぁ。
意識するような出来事じゃちょっとあるとKonozamaだ。
人が人であって、似たような形してるから、コモンセンスっていうかそう言うので感覚を共有したつもりになってるんだろうね。
その感覚の枠から離れてしまうと、もう苦痛でしかないわな。
健常で生まれ、育ち、事故とかで失明した人は、不便だと思うだろうけど
盲目で生まれてきた人にとってはその世界がすべてなんだから、それが普通だわな。
その盲目の人の普通って感覚が健常な人に伝わると思うかい?
そう言うことだと思うんだ。
一線を越えた人には理解して貰えると思うけど、一線を越えた人って殆ど居ないんだよね。
一線を越えた人って、同じような匂いがするから、大体判るんだけどねー